ダ・ヴィンチ・コード(上) (角川文庫) という長編ミステリーがベストセラーになったことがあった。ミーハーなもので、上位に入った本は手にとってしまう。ただ、例外があって、宗教家の書いたものは別。内容がどうこうというのではなく、そういった本が上位に入っているのは何か組織票のようなものではないかと思っているからで、純粋に世間で話題になっている本とは違うような気がしているからだ。
ところが、ダ・ヴィンチ・コードを読んでびっくりした。これは宗教本ではないかと疑ってしまった。イエスは只の人間であり教会関係者の投票によって僅差で神になった。イエスは結婚しておりその子孫が今もいる。などということが平気で書いてある。しかも、この本に書かれていることは事実だと、混乱させるように書いている。フィクションとはいえ、こんなことを書いてよいものだろうか、これはバチカンに禁書と指定されてしまうのではないだろうかと考えたりした。
結果的にはそういう事態にはならなかた。キリスト教の世界もずいぶん懐が深いのだなと思ったりしたものだ。
ただ、我慢ができなかった人も多かったようで、反論本がいくつか出た。どのような反論をするか気になっていたので、そのうちの一つ『ダ・ヴィンチ・コード』はなぜ問題なのか? を読んだ。両方合わせてはからずもキリスト教の勉強をしてしまった。
さらに、イエスの妻と名指しされたマグダラのマリアが頭にあったので、書店でマグダラのマリア―エロスとアガペーの聖女 (中公新書) を見かけてこれもつい手にとってしまった。恥かしいことだが、ダ・ヴィンチ・コードを読むまでマグダラのマリアがどんな人かしらなかったのだ。
歴史ミステリーを買ってその謎解きや展開のおもしろさ以上に、その歴史解釈の面白さから、関連本に発展してしまうことがままあるが、ダ・ヴィンチ・コードもそういう本だった。
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